東京は今朝雪が降りました。こんな日は重苦しい長野の切なくもねじ曲がった昔のあの頃を思い出します。

私が19歳の時、父が急死しました。またすぐに、働き手の兄二人が大きい事故を起こしてしまいました。私の兄弟の一人も亡くなってしまいました。私は当時東京にいたのですが、長野に戻り働き手のいなくなった家計を支えるため母と二人で、家が庭石屋だったのでトラックがあり、それで工場街を飛び込みで回り、古い機械やスクラップを買って卸屋に運ぶことをやっていたのですが、私自身も仕事中右手薬指を落としてしまい(軍手でぶらぶらしているのを地元の医者につないでもらいました。つながりましたラッキー!)ましたが休むわけもいかず、高熱でトラックを運転していました。何せ貧乏所帯の子沢山を地でいっているような10人以上の世帯なので金もないし…。でもその時の母はこれほどの苦しみの中でも耐え続けていました(いつか書きたいです)。

「タガが緩む」19歳の私の心に何回もその言葉が押し寄せていました。「親父がいなくなってから悪いことばかり起こる。なんでだ!」

親父は仕事もよくしましたが、でも家に帰ると酒ばかり飲み、怒鳴ってばかりで暴力的で兎に角恐かった半面、酒が入っていないととっても優しくて気の小さい人でした。特に何かを教えてもらった記憶は残念ながらありません。

でもわかったんです!親父の「たが」がしっかり締まっていたから親父が元気なころは、事故もなくやってこれたし、当たり前の生活を守ってくれていたんだと。

明らかに親父が死んでから目に見えない「たが」がゆるんでしまったんでしょう。

私は親が死んで教えてもらった情けない奴ですが、今日まで私の腹の底にずしんと親父とともに存在している気がしています。

あなたの「たが」を私のライブで感じましょう。(笑)